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情報の流れから外れていく小説



■小説が情報として伝わり、読者がそこから新しい情報を発生させることは 可能でしょうか?

これまでの小説は、文学として鑑賞されて、そこに書かれている内容を読者が 読み取ることがゴールになっていました。 これは、通常言われている情報の伝わり方とは違っていて、庭の池のように 流れが閉ざされています。

現在、小説が読まれなくなった根本的な原因は、ここにあるような気がします。 一般的な情報の流れに乗らず、内部で閉じてしまっているため、社会的にみると 「読んでも意味がないもの」「生活していくには不要なもの」として認識されて います。 もし、文学が読まれるようにしたいなら、情報として「閉じている」状態を 解消するのが本筋でしょう。

とはいっても、文学自体は、時代状況からどんどん離れていくしかないようです。 「文学的=近代文学」という思い込みが残っているため、現在の複雑な社会を 直視することができていません。

複雑な状況を書くには、作家の思い込みを捨てて、素直に表現することから はじめる必要がありますが、「文学的」という概念にとらわれていると、 これができません。 現在の社会を文学で表現することは、新しい文体をつくることと同じです。 それには、まずかんたんな表現からはじめないと、うまくいかないでしょう。

作家自身が、「本質的なこと」を理解する必要があります。 そのため、表現は試しにかんたんなところから、ということになります。 このことにまともに取り組めば、文学は21世紀の表現手法と言語を獲得して またたくさんの人たちの注目を集めることができるでしょう。 「本質的なこと」から目をそらして、過去の「文学的表現」にしばられて いると、このジャンル自体が消滅するかもしれません。

現在まで残ってきた「古典」は、当時の状況を直視して、それを表現しています。 作家は、その表現のために新しい文体をつくりました。 それは、当時の主流の文学からみれば、「おかしなもの」「軽いもの」に見えた かもしれませんが、必要な表現だったのです。 今の文学は、この必要な表現を模索せずに、過去をぼーっと眺めているだけです。

おそらく、本を読まずに、ネットで時間を消費する傾向は、これからもっと 高まります。 そこで交換され、生み出される情報は、21世紀に生きていることを実感させて くれるだけの「新鮮さとスピード」をもっているはずです。 ビジネス、ショッピング、コミュニケーション、教育は、そういう環境に移行 されて、内容密度が今とは比べられないほどアップします。

ワードとエクセルが使えて、メールができればいい、という状態から 「情報の交換と新しい意味の生成」に重点が移ります。 文学は、このような社会状況に対応できる「言語」をもっていません。 そういう言語をつくろうとする意識もまるでないようです。

人間を描くことが文学の役割だと思っているのかもしれませんが、 情報の流れの変化の影響をまともに受けるのが人間です。 その流れに背を向けた文学が、人間を描けるでしょうか。

このようにみてくると、
・ネットでの行動が普及する
・その行動は、ネット上に文字や画像として残る
そして、そのファイルがそのまま、現代の履歴書になるわけです。

あえて、文学として表現する必要があるような事象もなくなるでしょう。 言語といえば、「ビジネス用英語」と「ネット用コミュニケーション言語」 を指すことになる可能性がかなり高いような気がします。



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