身体リズムと文体のリズム
■小説を書こうとして、最初に考えるのは何でしょうか。
タイトル?
最初の1行目?
あるいは、適当に書けるところから書いてしまう?
たしかに、小説は書き始めるまでがなかなか大変なので、 とにかく椅子に座って、書く態勢がとることが先決です。
タイトルを決めてもいいし、書けるところから書いてしまってもいい んですが……。 小説を書いたことがあればわかると思いますが、よく途中で進まなく なったり、登場人物が予想していたより動かなかったりしますよね。
しばらく、放っておけばアイデアが出るかもしれないと思っても、 いつまでたってもアイデアが出ない……。
小説を書いていると、誰でもこういう経験があると思います。 「わーっ、ついにスランプだあ〜」 といいたいかもしれませんが、ちょっと違います。
日本文学の世界だと、こういうとき散歩に出たり、酒を飲んだり するわけですが、キャラクター小説を書きながらそういうことを しても、今ひとつカッコつかないわけです。
前回は、主人公と文体が密接に関係しているという話をしました。
実際に書くとき、作者の頭にあるのは
・主人公
・ストーリー
の2つで、それを支えているのが文体です。
もし文体と主人公、あるいは文体とストーリーの相性が悪かったら……?
その小説は途中で進まなくなるでしょう。 このとき、自分には文章力がないんだとか、小説を書くだけの知識が 足りないんだと思って、『誰でもできる小説の書き方入門−初級編その1』 という類の本を読みたくなるかもしれません。
でも、残念ながらそれを読んでも、書きかけの小説の先を続けて書くことは できないでしょう。
ここで、本質的な問題になっているのは
・文体と主人公の相性
・文体とストーリーの相性
です。
表現技術が足りないのでもないし、文法の知識が足りないのでもありません。
自分の書いている文体と、主人公やストーリーの関係に無理があるわけです。 無理している部分を解消して、スムーズにすれば、自然に執筆が進みます。
相性のいい文体の上に主人公を搭載すれば、それだけで自然に動き出す ような気がするでしょう?
ですから、ここで必要なのは、自分の文体をよく観察することです。 その文体は、あなたが活躍させたい主人公にとって、居心地のいい 文体でしょうか?
それとも、無理して動かなければならない文体でしょうか?
そこで、どうやってそれをチェックすればいいのか、 という問題ですが……。
昔の日本文学の世界では、作家が段ボールいっぱいの原稿を書いて、 それをまるごと焼き捨てるということを繰り返していました。 (いま考えると、環境問題の点から少しまずいような気がしますが) 段ボールを10箱くらい捨てたら、ようやく一人前というわけです。
これは何をやっていたのかというと、そうやって 「自分の文体を理解していた」 わけです。 繰り返した末に、やっと自分の文体が理解できて、同時に 使いこなせるようになる。 そういうことだと思います。
でも、いまはこんなことをする時代ではなくなりました。 昔は、「時代の速度」がゆっくりしていたんです。 文体も、それに合わせて、ゆったりと落ち着いたものになります。 よくいわれる「文豪の小説には風格がある」という裏にはこういう 事情があると思います。
いまは、時代のスピードが速いので、それにともなって文体も フットワークが軽くなっています。 だからといって、文学的に中身が軽いかというと、そうもいえません。
これは、書く人の身体感覚、読む人の身体感覚の問題だと思います。
忙しい日常の時間の流れの中に、やけにゆっくりした感覚が入り込んで きても、多くの人はそれを受け入れることができません。 趣味的、感覚的にそれが合う人なら、受け入れることができますが、 全体的な視野でみれば、時代の速度に合わないものは無視される傾向に あります。
ですから、チェックポイントとして
・いま生きている身体リズムと、文体のリズムが合っていますか?
というのがあげられます。
このポイントがずれていると、主人公にストレスがかかってしまいます。
なぜかというと………
主人公を人間的に深く描写するには、作者が最も詳しいはずの 「自分の内面」を参照しながら書くしかありません。 自分のこともなかなかわからないものですが、他人の内面は、 それ以上にわかりません。
おそらく、じっくり作品に取り組むと、いろいろな紆余曲折はあっても そこに落ち着くでしょう。
舞台を大正時代や平安時代に選んでも、そこで動く主人公は、21世紀に 生きている作者の内面を常に反映します。 一見すると、これはまずいように思いますが、別に悪いことでもありません。 現代の視点から見ているからこそ、新しい発見ができた、という可能性も あるからです。
主人公は、どんな舞台においても、作者の内面の影響を受けます。 背景知識などは、いろいろ調べて客観的に書くことができますが、 主人公はもっと深いレベルで動いているからです。
一方で、主人公はストーリーも背負っているわけですから、何らかの アクションを続けて、ストーリーを展開していかなければなりません。
当然、そこにはリズムが発生します。
・いま生きている身体リズムと、文体のリズムが合っていますか?
これがさっきのチェック項目です。
主人公は作者の身体リズムから生まれた文体の上で動いています。
このリズムと、ストーリーが内側にもっているリズムは同調する必要が あります。 ここで、やっと文体、ストーリー、主人公が重なり合うわけです。
なお、このリズムが同調しない場合、その作品は「文学」になって、 エンターテイメントの領域から離れてしまいます。 文学に出てくる主人公は、たいてい、不快な環境の中にいて、悩んだり 苦しんだりして、ストレスを受けています。 これが、その理由です。 なんとなく、わかったでしょうか?
読者にエンターテイメントとして楽しんでもらうには、このリズムの 同調が欠かせません。 日本文学の作家が午前中に原稿用紙3枚だけ書いて、あとは筆が進まず 部屋でごろごろしているのは、このリズムを崩しているからです。 たいてい、それは文体の実験、ストーリーの不在、主人公の孤立という 形で現れます。
たぶん、このへんのことが感覚的にわかる人は、作家としての資質を もっているはずです。 それに比べれば、知識や技術の存在は軽いですね。